臥牛山(備中松山城)登山とセツブンソウお花見、その4、山頂は天神社跡でした
さて、備中松山城までは道標もしっかりしているし、何より人々がたくさん歩いているので、迷いようはありませんが、そこから先に行く人はあまりいそうにもないです。
yamapの地図を見ながら、山頂へと至る道を探します。
このころ、ようやく気づいたのですが、この山域では山の道標というよりも、かつての山城の遺構の道標になっています。その辺のところが普通の山歩きと違い、ややこしいところですね。
↑山頂へと歩き始めたころには上空は青空で、白塀に青空、そして飛行機雲がくっきりと見えました。
どうやら天守閣の東側につけられた道を辿ればよいようです。
↑道標がありました。
その時ははっきりとはわかてtなかったのですが、「天神の丸跡」というのが臥牛山山頂のことなのです。
道はいったん、下っていきます。
どこまで下るのかなとちょっと心配になりましたが・・・
どうやら下りきったところに、橋がかけられていて、50m程度の下りで済みました。
下りきったところは「番所跡」と記されています。
その付近にもキジョランが生ええていて、やはり自生だということを感じました。
その後、道は、緩やかに登っていきます。
道標があって「市道終点まで1.2キロとなってました」この時はその意味も分かっていませんでしたが、向こう側からも天守閣へ歩いてくることができるようです。
ちょっと広くなった平坦な場所があって、杭には「相畑」と書いてありました。
辺りにはお茶の木も見えたので、私はてっきりここは畑ヶあったのかと思いこんでしまいました。
後で調べてみると、特に畑ではなかったようです。
検索すると「天正2(1574)年に起きた備中兵乱の古戦場跡といわれる相畑城戸跡(あいはたきとあと)。井戸などが残っています。」とあります。
次に珍しく、ヒノキの植林が見えてきたと思ったら、↑のような説明がありました。
確かに建物が建っているので、杉やヒノキは欠かせないのですね。
ヤブニッケイをこの日も見つけてしまいました。
↑10時52分、分岐迄やってきました。
大松山城跡と天神社跡との分岐です。
私たちは山頂に先に行きたかったので、ここは直進します。
すぐに、こんな今風な階段が出てきました。
これを登ると・・・
神社のものだったらしい古い手水鉢ヶ出てきました。
続いて今度は古い石段を登っていくと・・・・
↑10時55分、臥牛山山頂に到着しました。
道標にはすべて「天神社跡」とか「天神の丸跡」になっていましたが、この山頂標識は個人の方がつけられたようですね。
これで3つの目的のうち2つは達成です。
後一つは、もう少し北に歩いたところにある三角点です。
岩の上には可愛い猫の形をした小石。
これ、いいですね。
少し下ったところに、天神社の説明がありました。
そして天神の丸跡んぼ説明もあります。
この辺り一帯は平らにならされていて、昔はここにもお城の一部があったようです。
かなり大規模な山城だったのですね。
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