県境歩きで境目~中山峠を歩く、その2、アメリカ人のお遍路さんに出合いました
やれやれ、これで正しい県境のルートに乗ったので、後は、それを辿るだけです。
へんろ道らしく、いたるところに石仏などが見受けられますが、中にこんな昔の道標もありました。
↑「白鳥 五里」
「三番へ 七里」
と書かれているようです。三番とは三番札所の金泉寺のことのようです。
地図で見ると、なるほどそのぐらいの距離のようでした。
八十八番の大窪寺から三番の金泉寺へと向かうこともありなんでしょうか。
今ではお遍路さんは大窪寺で結願するのが普通になっているようですが、昔は大窪寺から鳴門へと行くへんろ道もあったようで、以前、大坂峠付近を歩いた時もへんろ道がありました。
↑古い道標の横には「四国のみち」の道標が立っていました。現代の道標です。
こちらは行き先が白鳥温泉や三宝寺になっています。
道の横の小高い場所にはへんろ墓らしいものも立っています。
屋根付きの祠に鎮座されている石仏。
雰囲気の良い、歴史の感じられる道です。
県境歩きにはこんな道もあるんですね。
よく歩かれている証拠で少しえぐれている道です。
目の前にベンチと道標が見えていて、道はそこから下っているようです。
これなども雰囲気が良いですね。
落ち葉に覆われた道を下っていきます。
この日は嫌というほどヤブツバキを見ましたが、ここもヤブツバキが綺麗です。
↑落ち葉と土に半分ほど埋もれた道標。
集落らしきのが木の間からかすかに見える道を下っていくと、やがて平坦な道になりました。
すると、向こうから男の人が一人歩いてこられました。
姿格好から、てっきり私たちと同じく県境歩きをされている人だと思いましたので、「県境歩きですか?」と声をおかけしたところ・・・・
↑「日本語わかりません」と仰るではありませんか。
なんとこの方はアメリカから来られていて、この日は鳴門の霊山寺へと向かっている最中とのことです。
つまりアメリカ人のお遍路さんだったのです。
アジア系の方で一見、日本人かと思うでしょう?服装も山歩きの人の服装だし、まぁ、今から思えば金剛杖を持参されてはいましたが・・・
日本人のお遍路さんなら大窪寺で結願された後は高野山にいらっしゃるそうですが…(私はお遍路については詳しくないです)
今までの経験から欧米の方は歩くのがお好きなようで、京都の伏見稲荷でも普通のコースとは違う山道を歩いたら白人のファミリーの方と会いました。石鎚でもドイツ人の男の子に会いましたし・・・
結局、この日、歩いた道でお会いしたのはこのアメリカ人の方だけでした。
(カメラを向けたら笑顔を見せてくださいました)
そのすぐあとで振り返りましたが、俊足の方だったようで、もう姿が見えませんでした。
山を下りると民家まではこんな道です。
今は境目まで五名トンネルが通っていて、車であっという間に通り抜けますが、昔は集落の人も山道を登ったり下りたりして行き来していたんでしょうね。
ついでに東讃の山地でよく見かけるモチツツジも撮影しておきます。
香川でも西讃には自生してなくてたぶん綾川から東に自生しているのだと思います。
今年は寒かったので、狂い咲の花も一輪も見ませんでした。
道の上にはヤブツバキの落花がいっぱい落ちています。
↑八時半ちょうどに、集落と山道との境の柵を通過しました。
この日はいろいろなところで、イノシシ避けの柵を開け閉めすることになりました。
柵の向こうに、桜の木が見えています。
この日は3月25日で丸亀の我が家周辺はサクラはようやく数輪咲いたばかりでしたが、この集落の桜は5分咲き以上でした。この春は山の中の桜の方が開花が早かったように感じています。
柵から出た場所にもカキドオシがたくさん咲いています。
雨はほとんど止んでいたので、畔のところで、雨具やポンチョを脱ぐことにします。
その頃からカメラのどこかを触ってしまったらしく、2秒おきぐらいに3枚の連写をしてしまいます。連写をすると後で削除が大変なので、一枚撮影した後、すぐに電源を切るようにしましたが、それもまた面倒で大変でした。
後で自宅に帰って、取説を読んでようやく設定を直しましたが、いまだにカメラの設定の一部しか理解してませんね。
山道から里に下りてきて、里の桜を見るとホッとしますね。
柵の横にはここにも「八丁坂」と書かれた道標があって、結局、境目からここまでの区間を全部八丁坂と呼ぶのでしょうか。
小雨に煙る桜もまたなかなかの風情でした。
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